彼女の命日(2017.1.7) |

今日は私の友人の命日です。
こんなことをここに書いていいのだろうか。
わかりません。でも綴らずにはいられなくて。
6年前の早朝に知らせを受けて、彼女の死を知りました。その年のお正月には、彼女から年賀状が届いていました。
年末から、入院して治療するから、そう言ってたので、また元気なって退院してくると思っていたから、急な彼女の旅立ちはすごくショックで。
彼女は若くして天国へ召されました。
四人の最愛の子どもたちを残してゆく無念さを思うと胸が締め付けられる思いがしました。一番下の子はまだ0歳だった。
あれから6年。長いようで早いようで。
私には、いつも胸に彼女の言葉があります。メールの言葉が残っています。夜中に怖くて眠れないと電話がかかってきて、一緒に泣いたことも。
彼女の年賀状に、みちよさんが一番最初に私の心の叫びを受け止めてくれた。ほんとにありがとう。
と書いてありました。
それが、彼女の最期の言葉になりました。
私は、彼女の気持ちを受け止めてあげられたのだろうか。もっとできることはなかったの。
さまざま考えます。いまでも。
私は、後悔してることがほんとは、あります。
私は、産前産後の女性を応援するクラスをしているけれど、幸せなお産についても語ります。
その話を聞いて、彼女は、もう一度赤ちゃんを産みたいと旦那さんと相談し、四人目の赤ちゃんを授かることにしたのだそうです。
赤ちゃんを実際授かったとき嬉しくて、彼女は私に手紙をくれました。幸せなお産するわー!そう書いてありました。
彼女の胃ガンが見つかったのは、妊娠中期を過ぎたころ。血液検査の値が異常があって。
そのまえから、腰が痛いと言っていたり、つわりがずっと続いてるねん、と胃の不調を訴えていたので。
まさか、ガンだなんて。
ガンは、妊娠中、ホルモンの関係で、ガンを進行させてしまう状態にあります。私が幸せなお産、なんて話さなければ、彼女は妊娠しなかったかもしれない。
彼女の命はもっとあったのかもしれない。生きれたかもしれない。妊娠していなければ、胃の不調にもつわりなんて思わず気づけたかもしれない。
私のせいだ、私のせいで。
そんな思いがずっと消えないでいます。言葉を発するときの言葉の重さを、怖さをいまでも思います。
私の言葉で。メッセージで。
だから、だから、いつも人前で話すのは、怖い。
私は、自分を責めています。
そして、いつも、彼女の家族を見つめています。
彼女が見届けたかったであろう、子どもたちの成長。見守っています。
今日も空は綺麗でした。
今日はずっと彼女のこと思い出していました。またお墓に会いにいくね。
懺悔の気持ちです。自己満足です。どこまでいっても。。。
鴨川のほとりに小さな梅が咲いていました。じんわり春が巡ってきます。